Acting
History of Noriko

History Of Noriko

■ ~1982
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日本、川越市出身。幼少より自らシナリオを書き、友人や家族の前でお芝居をすることを楽しむ。

■ 1982
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神奈川県立湘南高校卒業後、宝塚音楽学校に合格。

■ 1984
01_01_03 01_01_04 宝塚歌劇団入団。「乙原 愛」の芸名で中堅娘役として活躍。「華麗なるファンタジア」のクネゴンド、「戦争と平和」のナターシャなど新人公演で主役で活躍。
■ 1988
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ニューヨーク ラジオシティ ミュージックホールでのニューヨーク公演にも参加。

■ 1993
宝塚歌劇団退団。その後駐在員の妻として渡米、2児の男の子をもうけるが、異国での子育てを楽しむ一方、女性としてのアイデンティティーの喪失に遭遇。
■ 2002
離婚と同時に、本当の自分を追及すべく、ロバート・デ・二ーロ、アル・パチーノが学んだハリウッドの名門ステラ・アドラー アカデミー オブ アクティング スクールに入学。シングルマザー、フルタイムの学生としてのスケジュールをこなす中で、ステラ・アドラーの演劇メソッドをはじめ、アレクサンダーテクニック、クリスティン リンクレイターのフリーイング ザ ナチュラル ヴォイス、また、ステラ・アドラー自身から直接その演劇指導を受けた、ティム マクネイルのマスタークラスを修了。また、ロサンゼルスで幅広く活動を続けているオールアジア人グループシアター、イーストウエストプレイヤーズのワークショップにも参加。
■ 2003
7月、「リース」のジェーン役で、続いてデイビッド・マメット作「ザ フロッグ プリンス」のウィッチ役でハリウッドで女優としてデビュー。また、演出家としてはイギリスの最新戯曲「クローサー」を演出。
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■ 2004
「アンネの日記」のミセスフランクを演じる。この後彼女の情熱をかたむけることとなる作品、広島の原爆悲劇の英語子供劇「A Thousand Cranes」(禎子と千羽鶴)に出会う。このプログラムは、ステラ・アドラー校の地域福祉計画の一環で、2003年11月から2004年5月まで、公演13回・総勢1,000人のアメリカの子供達を無料招待、大成功を収めた。また、舞台の後で子供達に夢、希望、戦争、平和、原爆、そして日本文化といったことをテーマとした質疑応答の時間を設け、これが好評を得る。
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一方、「What the Butler Saw」(執事が見たもの)では一転してイギリスの風刺コメディにジェラルディン役で出演。
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12月帰国。奈良橋陽子氏主催「ユナイテッド パフォーマーズ スタジオ」(UPS)でステラ・アドラー・メソッドとリンクレイターのヴォイスメソッドの講師として指導にあたる。
■ 2005
インターナショナルプロダクション「Red Cranes」を立ち上げ、その第一回プロジェクトとして「A Thousand Cranes」を戦後60周年の日である8月6日に、東京つつじヶ丘UPSスタジオで公演、自ら出演・演出を手がける。 01_01_14
また、大正、昭和 をテーマにした、「歌と語りの "四重奏"」を大阪「雲州堂」にて開催、詩の朗読をメインに出演・演出・構成を手がける。
■ 2006
子供のための英語劇クラス「Joy of Acting」を主催、毎週火曜日に小学生1~2年生を中心として、心技体をふんだんに取り込んだ英語演劇の要素を取り入れた英語指導を始める。
■ ~ NOW
また、二人の男の子の母として、地元小学校でボランティアで演劇メソッドを使った英語の発音の指導も行っている。ノリコは今後日本語と英語を活かし、演劇活動を通して広く国際的なアーティストを目指す。
2006年 9月より本格的なステラアドラークラスをスタート予定。